はたけ、かりました

土イジリは好き。
畑を借りました。

いろんなことを考えます。もくもくと手を動かしているんだけど、普段の生活や仕事のこと、浮かびます。
ご近所さんとのお付き合いも増えました。

闇(病み)ブログ
グチばっかり。駄文。
技術的内容欲しい方、ごめんなさい

昔から畑は好き

小さいころから畑はなんとなく好き。作業するのも好き。本格的に農業やったこと無い。親戚関係でも兼業農家すら皆無。けど、それでも実家にいたときは親が近所に借りたりしてちょこっとやったり。

就職して何年かして。きっかけがあって、すごく小さいヤツを始めた。それからは、なんかいいなぁって思って、続けてます。
『収穫が楽しい!』『無農薬って良い!』みたいなことは、そもそも考えてない。でも、うまく出来たら、それはうれしい。作付けしたものが大きくなる前に虫とか天候とかでやられちゃうと残念は残念。できることはやります。でも、「畑に出る、作業する」は楽しい。こだわりもあります。地植えが良い。

別のこだわり。手をかけすぎない、というか、かけない。植物の自力をつけて、みたいな方向性。ひどくならない程度のお世話はします。
収穫期が終わって来期の準備。きっちり畑の「下地」を作る。これが楽しい。下準備だけでもきっちりやっとくと植物って自分で結構強く成長してくれます。

春半ばに

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今年畑を借りてみました。20㎡ぐらい。近所に持て余してる方がいて、伝手を介して借りました。地目の登録が『畑』なだけの荒れ地です。そのままではちょっと作付けできない。区画の中にはすでに何年も「畑」として形になってる場所があり。そこもご近所の有志的な方たちが借りてる状態。今年から我が家も仲間入り。まぁ、我が家の奥様が借りたんですが。

自発的な始まりでなくても荒れ地を畑に変える工程を想像すると、やる気が出ます、ワタクシは。(命令されるとうれしい、ではありません。痛いのとかも嫌いです。)で、梅雨終わる前までに、耕しました。石やらはほとんどなくて、杉菜と細い竹が凄い量でしたが、耕しては土を篩にかけてどんどん取り除く。オール手作業、鍬スコップ篩。半日でだいたい1㎡できるかどうか。50㎝は掘ってるのでまぁ、重労働。

たまに子供達が手伝いと称して土遊びに来る(アブないしウザい)。好きなだけ土で遊ぶ機会も普段ないから、そんな折には大人が遠慮してできる作業を細々進めます。どんどん遅れる。輪をかけて、手伝わずにむしろ積極的に邪魔してくるのが、言出しっぺのヒト。いろんな苗どんどん買ってくる。しかも度を越して。「植える時期過ぎてるよ」「いつになったら収穫できるかな?」「やっぱ子供達にはいろんなもの食べさせたいよね~」だそうで。
やってるコッチは先を見据えて作業してる。「進捗が悪い」っておっしゃる。何もしない(できない)ヒトって大概言いたい放題。こっちは1から10まで考えて、10から100まで考え中、のうえであんたに対応してんのになぁ。

とはいっても、あいては身内ですから、まだ文句の一つは言えるんです。こっちもね。これがご近所様だとそうもいかない。

「もう何年もやってるんですよ、ここで。」「初めはうまくいかないよ。だれでもね」「〇〇はこういう風にしないとだめだよ。」「そんなにこだわらなくていいんじゃない。」「これあげるから植えなよ、手がかからないから。」「ずいぶん時間かけてるけど、どんどんやらないと。」

 

まぁ、良かれと思ってのことですよ、おおむね。どシロートさんキタッ、と思うんでしょうね。なんかね、自分たちの間尺に合わないと、わかってナイ奴来た、って思うみたい。これは教えてあげないと!!ってね。。。。。
ちょこちょこやったことあるんですよ、ぼくも。ってのは無視される。

そういうの、慣れてますけどね。そんで、ほとんどの場合に、そういうの、クソの役にも立たないし、どっちかっていうと邪魔。いい迷惑、じゃない、ただの迷惑、って思っちゃうひねた自分。

うやうやしくうなずいておきます。でも、ここ僕の畑なんで。ぼくのやり方で、やりますから。心の声は漏らさない。

そんな場面を乗り切ってるときふと思う。ああ、これって普段の仕事とかと似てるよな~、って。この人たち、きっと職場でもそういう風に、家庭でもそういう風に生きてるんだろうなぁ、って。

 

何でもそうなんですよね。結局のところ。

(以下、”技術”ブログに寄せてるつもり。もう読まなくて良いです。)

物事には、目的、あります。目的達成するために、方法、あります。その方法を選ぶ、理由、あります。そういう一連の流れつながり、あるから成り立っていく。でも、往々にして無視されるんですよね、傍から見れば意識しないでも成り立つから。

 

目的がはっきりしないのに、あるいははっきりしてると言い張って、進める。

目的達成するには方法として不適切、あるいは明らかに一面的なのに、見直さないで。

なぜそんなことをしているのか理由を尋ねているのに、理由は答えずに延々と周囲の現状を宣うだけ宣って、進める、止めない、なんなら敵視される。

 

でさ。そのプロジェクト、その研究、そのシステム、その仕事、その事業、その制度、その教育、クソですよ。

現在地をまず確かめて。自分のやってることやったことを振り返れ。客観的に観て考えろ。んで、他の考え方は無いのか、常に考える。結果を吟味して次も同じでいくのか、とかね。

 

畑でたったワンシーズン、何かを育てるだけでも、いろんなやり方・考え方。そんなときに、自分の知ってることだけ話したり、自分の方法や考え押し付けて、何の意味が?隣の畑は良く見えないって?

ふと、思い出す。壁があるってはなし。どうしても会話にならない、通じない、理解してくれない、って話。仕事だけならなまだしも、そのことをこんな超個人的な時間にまで思い知らされたら、ため息出ますよ、ほんと。畑行くのがおっくうになる。

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気になっちゃうのは「考えてる」のか、どうか。”バカ”だから、とか、”わかってる人”は、とかではなくて、万人にそうあって欲しいという、自分もそうでなければ、という。個人的意見ですよ、そりゃあね。

 

最近妙にハマった話。松下幸之助さんの講演。悩んだそうです、ほぼ毎日、留まることなく。これでいいのか、他があるんじゃないか。一度到達している”結論”すら疑うそうで、自分で良いと判断したことすら疑うそうで。(最大手の動画サイトで配信あるんでPHPのやつ見てみて。)

 

逆に、自分が他のヒトの「畑」を見ていつも思うんですよ。なんでこういう風にやるのかな、なんであの人あんなこと言うのかな、って。

 

ちなみに、私事。我が家で畑借りた張本人様に対して。わたくし、当然のように質問させていただきました。「なんで畑借りた」のか。「なんかいいじゃん」だそうです。「育てたいもの」聞きました、それに向けての土づくりがあるので。「おいしいもの!」とか言いやがった。マジで、いつもそう。なんも無い。自分が自分が、ってガッツく割には理由も目的も計画も、なんも無い。慣れてますけどね、さすがにこっちも。
(どんどんはなしが脱線する)

仕事でこんなことあった話

(※もう一度方向をブログの主旨に戻す)

前職。工場で、いろんな老練な方々いらっしゃって、大変に多くのことを学ばせていただきました。嫌味でなく、ほんとに感謝。自分の生産に対する基礎は確実に培えたのは間違いない。

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でもそんな中にも、残念なベテラン、いるんです。仕方のない部分は理解できる。だってきっとその先輩方の多くがそうだったし、それでよかったんでしょう。曰く、若いやつにはまだわからんだろう、お前はまだまだ経験不足だ。
40年選手が言うことがおおむね正しいだろう、とは思わんでもない。でも、何度聞いても納得できなきゃ、こっちも言われるままにはしたくないし、考えるし調べるし情報集めるし。自己肯定するためじゃなくて客観的に理屈が通ることを探して、って意味で。

具体的に。加工品が図面通りに出来てない、なんてことがありました。なんでですかって話する。すると、図面が違うと。で、ずっと図面直さなかった奴がおるんやと。なるほど、これは大変だ。サッとね、図面直しにいくわけですが、途中で立ち止まって、ほんとかなって。30年も前の設計だけど、初めから間違ってたと??図面違うって一大事だけどなぜ今日まで問題になってこないの?って。寄り道します、次工程に。
これってそうなんですか、間違ってるんですか?って。すると、図面はあってる。加工品受け取ったらここで直してるよ。
で、もう一回考える。どっち?って。そしたら、さらにきちんと説明してくれるわけです。そりゃぁそう、物事には理由はあるんだから。設計の意図、教えてくれます。これこれこうなんだと。
で、上の工程の方にもどってそのことを申し上げると、ベテラン激怒。俺が合ってる、てめぇみたいなペーペーが生意気なこと言ってんな、って。確かにわたしはペーペーなんです。ところで、あなたが合ってるという理由は無いんでしょうか?
全部踏まえて、大方結論は出てるんだけど、一応もっと上に話を持ってく。あのベテラン以外はみんな、図面に間違はないと、そういう結論。ですけど、そこまで行って、認めないんです。その後何年もぐちぐち言ってたみたい。不当に貶められたんだと、バカにはわからないんだと。30年それでやって来たんだと。30年の実績=自分が正しいんだ、と。30年、次工程がケツ拭いてたの知らないんです。自分の事、自分でみてないんです。

ただ漫然と生きてるんでしょうね。考えるの、めんどくさいんでしょうね。いまならよーくわかるんです。だって身近にいるもん、そういう人。
「こうするのが正しいって聞いた」「みんなそいう言ってる」「わたしはそれで疑問は無い」「またわたしが間違ってるってこと?」

逆にとらえる始末の悪さと選択肢を固定する浅薄な思考

(ここは”技術”関係ない)

なんであっても一度考えてみませんか。

あれは何?自分がやってることは?いままでのこと、これからのこと。そのうえで動け、口にだせ、態度に出せ。仮に善意があるから、ってなんでも許されるわけ無い。先達が必ず正しい、ってこともない。ずっと繰り返していることだって正しさ含んでるとは限らんよね。大多数に従う必要性あるのかな。可能性の話はキリないし、そこすらも考えなきゃだけど、そのうえでの今、これから。

 

ただし。”ベテラン”の件を聞くと、かならず勘違いしてしまうヒト、いるんです。単純に実績を否定する、先人を軽んじる、”新しい手法”を正当化する。最近、一気に増えましたよね、そういう人。老害、って確かに頷くことは多々あるんですが、この話はそこについては言ってない。
それと、必要以下しか考えられないヒト。自分は考えてる、っていうんですよね。でも、大概そういう人たちは自分としての理由が無い。”誰々さんが” ”世間では” ”時代が” ”今までは”、いろんな枕詞つくんだけど、それは理由になってないって自覚できない。はたまた”正しさ”一択にすり替える。生き方ですから、それもまぁ十人十色。他人に「実害」がなければいいけどね。

 

自分で考えて生きろ、って案外とあれな話らしく。

考えて生きれない人、結構いますし、考える楽しさ、って万人受けしないみたいです。長いものに巻かれつつ大樹に寄って奔放に喜怒哀楽自由に。嫌な話に耳ふさいで、うまい話はとことんしゃぶって。心地の良いフレーズを信じて。考えない楽な生き方。
「正しい」とか「良い」とか断じるとすっきりするし、悪い気はしないよね。だから何かつけてそういうこと言う奴らもタチが悪い。お前の感想だろって。(他人様の表現丸パクリですが)

そのクソ判断の所為で、おまえのケツを拭いてる人が、いるんだよ。んで、おまえはそれがわかんねぇんだよ、お前の周辺も同じだけど。

そんな他人の尻拭いなんて、しなきゃいいのに、ってご意見あります。わかります。でもね、尻拭いをしてる人って大抵の場合、考えた結果尻拭いやってんのよ。それやんなかったら進まないんです、巡り巡って自分も損害被るんです。当然、考え無しもいるけど。
それでも成り立つ以上は、うまくいってるように見えるのは、仕組みがあるからだし、そういう仕組みは簡単には変わらない。仕組みでウハウハしてるやつらが変えて良いよって、言うはずない。考え無しの連中は変わるのは嫌い。変化に対応するには「考え」る必要がでるから。
一側面として、利権はおいしい。利権守ろうって理由で仕組みを死守するぐらいはまだマシかも。

閑話(カドがたちまくる話)

「俺は考えてる、で今(の状況)がある。」「私は一生懸命考えてます、なのにいつも文句言われます。」

考え方、レベル(は語弊あるが)大事。環境に左右されないのが、よりいいんだけど。判断レベル、ともいえる。鵜が集まっても到達する結論は言わずもがな、ってこと。最近は民度、なんてこと言ったりしますけど、地域性とかもありますよね。朱に交われば赤、愚に交わればバカ。
逆説的な話も。我が家のあのお方、ですが、血の繋がった家族すらドン引きするレベルの考察結果を出したりします。ご本人はベストな思考をしているらしいです。それもレベル、って話の一端。でも妹さんとか、考えて生きてるんだけど、同じ家で育っても違いはある、と思うと、とどのつまり本人の性なのかも。

思考のレベルが追い付けない時に、「違い」と受け取ることもあるようで。単に「違うもの」って感じるのはまぁ良いとして。
『自分と違うもの』=『悪』 の図式をつくってしまうこともあるんでは、と思います。受入拒否、排除、に近いのかも。

個人主義的な思考で生きてる人もなかなか『違い』を受け入れない、ということが身の回りでは多い気がします。それもいわば朱に交わって生きてきた結果。特定の地域・国のご出身にそういう方見かけます。違いを受け入れない理由を考えたうえで、ならば、まぁいいんですが。一方的に自分の意見を主張して、終わる。なんなら敵対されます。理解しようとしない。難癖付けて、戦争でもしますか。宗教的な話もそうですよね。正しい教えに従う。中東あたりの信仰は間違っていて。
ミッション、ってふざけた話だな、って思います。欧米発の崇高なるお考えで様々な土着の文化をぶっ潰してきた過去は「正しい」、らしい。

 

国粋的なはなし。(ここまで来たら脱線しまくる)

日本に居るので考えれる範囲が広がる、って勝手に思ってます。日本サイコーかよ、って。新年は神社でお賽銭、十字架の前で誓って、地元の神様と既設のお祭り、念仏であの世逝き。習慣だから、伝統だから、っていうけど、いわゆる「世界基準」でいえば信仰のかけらもないでしょ。でも、そこが逆に物事に「宗教観」という固定観念を一つ排除できるってこと。いいところ。政治も実に中途半端。一体何個の政党が出来てつぶれて。そのうえ悪政敷いてる第一党は、マスク配った人達は、相変わらず支持されて。でも、それを批判しても粛清されない。こんなこと書いても政府にアカウントロックされない。そういう事実を知らんだけ、かな。

さらに宗教的な思考をDis。
なんか失敗して、理由を考えようって時に、「これはGODが私たちに与えた試練なのね」ってことを信じてれば、それを共有できる人たちの間では「幸せ」な結果ですが、根本的な、物理的自然科学的な解決、を望む側にはどうにもこうにも。「当面の原油を確保するため」に爆撃&占領しました、っていう方が納得できますよね。「自分の権力を脅かす存在」だから毒ガスで暗殺とか。金稼ぎのためのツールとしての「世界宗教」とか。理由がぶっ飛んでたとしても、理由になってんだから。神様の息吹や怒りが理由で金は稼げるけど、エンジニアリングはできないんじゃね。ああ、思考停止Dis、って言わないと消されるかな。

 

もうちょっとだけ閑話継続。(偏見ばっかり)

枠の決まっているもの、リテラシーの共有が前提のモノ、で話してしまうと、”レベル差”が分からなくことがある、気がする。圧倒的にレベルの開きがあると仕事なんかでもすぐわかりますけどね。趣味とかだと話の根本はほとんど共通項でできてるから。

 

(ここも偏見)

低いレベルに混じってるとだんだん低くなります。高いレベルに混じっているとだんだん高くなります。でも、自然な心地よさは自分の本来のレベルに近い方が得やすいと思います。趣味やらなんやらが一緒だけど、付き合ってみて全然ウマが合わない、のはそもそも思考レベルが違うから、ではないかと。(この場合、目的とか性格も重要だけどその話は一旦保留。)

で、思考レベルの話をすると、学歴やIQの数値、保持資格や携わってる専門分野とかそんな括りを考えるヒト、いる。

いや、そこじゃない。

〇〇大学卒、って試験で点取ったレベルは同じだったかもしれないけど、思考レベルが同じってことではないでしょ。(ややこしいけど、基礎学力、とかいう指標に頼るなら、それは出身校みたいなものを参考に、というのはありますが。)
学歴、の話に戻って、金とかコネとかエスカレータ方式とか基礎学力無視して入ってから出てる人もたくさんいますよ。〇〇出身なの?じゃあ優秀だね、とか無いです。そのレベルの話するひと、そのレベルですけど。(だからって”必死に頑張って”関東の有名私立になんとか入った、ってのと余裕で国立医学部、ってたしかにまぁ差が凄いけど)。とはいえ、その後の変遷無視ってのもおかしな話で。考えてきてる人は日々成長してますから。最終学歴=思考レベルの限界 ではないですよ、そこはね。

「どっちがバカ」か問題は結論出ません。だって自分がそっち側、って思いたくない。なので、話がかみ合わないときに相手がそっち側で自分はこっちで、簡単に判断してしまう、「あいつ話通じないんだよ、バカだから」。

とは別に、親密な関係、お互いを知ろうと日々接してるような間柄、自然とどっちがバカかは(口に出さなくても)お互いに理解してくんじゃないかなって思います。でもだからって、自分が誰かより劣ってるのを心から認められない人、いますよ。プライド、というのかなんというのか。

で、同レベル(バカ)が多数派の場合にさらに「どっちがバカか?」の判定は変わります。曰く「みんなそう言ってるんだから、お前が間違ってるだろ」とかね。一人一人に事情聴取せぇよ、賛同してる理由が違うから。立場上賛同せざるを得ない人、賛同しとくと都合いい人、常に多数派に回ろうとしてる人、誰それさんと同じが良い人、理由なく賛同する人、変化を嫌う人、変化を望む人、などなど。

良い悪いの話、バカかどうかの話、みたいな不毛な議論は提起すると「ブーメラン」要素満載なので意味薄ですが。「バカって言った人がバカなんです~」、ウチの子供たちが最近よく言ってる。もうやめよう、このはなし。

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ところで、「考える」ってどいう定義か?

だんだん哲学的になってきた。「考えてるから自分がいるんだ」ってとこに達するのが大事かも。このはなしも一定レベルで意味ないんだけど。

ある程度の”レベル”の人に言わせれば、↑こんな話、なにを今更クドクドと、ってなるのも自明。グチです、ただの。もうほんとに。ここで終わろう。

で、結局なんの話かって

企業ブログなので。

ここまで内容が一個人の意見に終始したので、以下仕事に着目して帳尻合わせとこう。

 

何かを信じて疑わない、これって技術者として非常に大事、いや仕事の種類問わず、というか生き方、か。だってブレブレでは仕事できない、生きていけない。(でもそんなことはないか、そんな奴ばっかりだ。)

何を根拠に進むのか、迷ったり失敗したらどこに立ち返るのか、それがあれば。

でもそれが、妄信なら別。「松下さんが正しい」かどうか、自分で考えていかないと。じゃあ否定するにしても、根拠は明確に持たないと。

漠然と是非を決めていいのか。判断早いんじゃないか。そいうこと言ってるヤツは、どうなんだと。

直感が大事、ってのもわかる気がします。だからって「理屈だけで説明できないことがあるから面白いんだ!」って、それはちょっと。直感的判断が信頼できる人は、そもそもそこまでの積み重ねが確か、またはほんとにセンスがある。(とかいうと、「オレの直感ってだいたい当たる」とか大声で言う奇人がでるんよね。)
考えていこう、ということで。考えを止めないように、ということで。

連綿と続いている理由を考えよう。新しい技術がなぜ出てきたのか考えよう。うまくいった理由を考えよう。失敗した理由を考えよう。

目的は何だったのか、なんでその方法を選択したのか、この結果は目的に対してどういう意味があるのか、考えよう。

このまま、進んでいいのか、考えよう。自分らしくてもいいのか、考えよう。あの人が言ってること、なんなのか考えよう。

自省して、この先を考えよう。

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主題に話を戻そう

ウチの畑の隣の隣の畑を借りてる方、話合う人。日々悩んで、いろんなもの育ててるんだそうです。考えているんだそうです。わかります。

畑って、結果が伴いやすい。わかりやすい。バカの畑は、まぁそれなり。
祈った結果、素晴らしい実りが得られるんですよ。(って、バカじゃねぇの)
出自肩書宗教思想所属、畑に対してクソの役にも立たんです。やることやらんのであれば、素晴らしくおいしいトマト、穫れません。(っても、トマト失敗するのも、どうなんかな。)
考えてやってみた。その結果大きいトマトが採れた、でも不味かった。そこにはちゃんと理由がある。祈りが足りないわけじゃない。土か苗か天候か虫か病気か水か肥料か。試してみれば違いが出る。試しもしねぇで語る奴、多過ぎ。しったか、したり顔。一生おなってろ。

 

足元見ることできる人、隣の畑が青い理由、わかる人です。だって考えてるもんね、一定以上のレベル維持しながら。考えるのやめない人。

 

ここまで読んでくれた稀有なあなたに感謝。
いろいろと口撃してた対象にも基本的には感謝の一語に尽きます。(と言っておけば、お茶も濁せる)

 

畑にいたのに、思考が仕事がらみになってしまった、最近の話。生きるってなんだろう。考えること、と思う。

 

 

P.S.

こども写真でも載せれば、文句言わんだろう、なに書いてあっても。
(↓「バカっていう人がバカっていう人がバカなんです~」って言ってるひと)

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