3Hって何?

昔のセブ

昔のセブ
技術ブログの目次を見るとセブやフィリピンに関する記事が豊富で、皆さんの体験談を見ていると「あるある!」と微笑んでしまいます。我々にとっては異文化圏のフィリピンで現地と調和しながら日本の良さを注ぎ込んで行く困難さと楽しさが見えてきます。さて、これらの記事にないもの、それはインターネットが普及する前のフィリピン・セブ。古きを知り、今を感じる事で多くの小さなことに感謝の気持ちが湧いてきます。

昔のセブ

私がセブに来たのは1996年。成田空港からマニラを経由してセブ空港に到着。暗い空港建物を進むと木製のテーブルがあり、制服も着ていない審査官。預入荷物が出てくるターンテーブルがなく作業者が手で荷物を運んできました。空港から車で5分ほど走ると道路は舗装されておらず、街灯もなく、ただその暗闇に多くの人が蠢いていた光景を今でも覚えています。

テクダイヤのセブ工場があるMEZ貿易加工区からセブ市のバニラッドまでの約12kmの区間に信号が1つも無く、道路の大半は舗装されておりませんでした。中途半端な道路拡張工事が行われており、道路の真中に電信柱が立っていたりで何でもあり。

若手の人は停電を体験したことがないという人もいるかもしれませんが、週に1回は停電、赴任直後はあたふたしていましたが、慣れてくると「さあ寝よう」と諦めが早くなりました。セブに来て初めて、生活インフラで一番大切なのは水だという事も知りました。

今までの生活を出来るだけ取り戻そうとモールに行ってもまともな電気製品がなく、日本製の家電は非常に高価な物でした。当時、日本製のテレビ、冷蔵庫、洗濯機などは免税店で100Vのものを買うのが当たり前でした。

大半の人にとって生活環境は進化を続けていますが、外国に赴任する事で、文化の違い以上に生活環境の変化に驚きます。何もかもが新しい体験で、1つ1つを受け入れて自分なりの理解と対策を取る事でその環境に順応して行けます。

 

 

下位中所得国

90年代後半にフィリピンでもインターネットが普及し始めフィリピン人の生活が大きく変化しました。ネット上の情報が一気にフィリピンに流れ込み、それまで海外の情報に精通していない人が物品情報に触れる事で購買意欲が高まり、それに応えるように多くの製品が国内で購入できるようになりました。購買能力のある人は生活が便利になり、生活スピードもアップしますが、その一方でこの変化に追従できない人との差異がより大きくなります。私の周りでも「買いたいものがあるけど買えない」という人が多くなり、労働意欲が増加したのだと思います。こういった状況下では彼らは労働におけるヤリ甲斐を求めるよりも給料金額を求める事になります。

 

変化

こういった環境の変化の中で、新たな技術を取り入れた人は新たな能力を身に着け、逆に取り入れない人は取り残されて行きます。社会は常に変化しており、我々は常に変化し続けなくてはなりません。

最近では台風の影響でセブでも長期間の停電が発生し、多くの人が不自由を経験しました。私はちょっと懐かしい感じがしました。暑い夜は軒下で寝たり、水浴びをしたり。